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 不安障害(神経症)における、不安症状。
今日は、「守るべきもの」について触れてみたいと思います。

 不安が強い、と訴える人の心奥深く紐解いてみると、そこには守るべき家族に行き着くケースもあります。特に同居していると一緒に過ごす時間も多くなり、自分の不安症状を悟られまい、心配させまいとして鼓舞する人も多い。今ある現実の自分と、こうありたいと思う自分とのギャップがいっそう不安を誘ってしまい、不安に不安する状態になることも少なくない。

 例えば、一緒に夕食を食べるにも、笑顔を絶やさず悟られまいとして頑張る。家族に心配掛けさせまいとして鼓舞するのであります。すると、寝る頃にはへとへとになっている。
 何故、不安になったのか・・。確かに、自分自身の問題としての不安症状もあるのですが、今の不安症状でこの家族を自分が守り切れるのか、と漫然と考えた瞬間から一気に不安を亢進させる場合があります。ましてや、前述のように、症状を悟られまい、心配掛けさせまいとして仮面をかぶるのには心労も重なります。

 では、どうすればいいのか。
まず、守れるだろうか、と云う予期不安が役に立っている事に気付くことが大切。その不安があるからこそ本当の問題から回避可能となる。又、長年連れ添った配偶者、親そしてお子様です。その空気を読む鋭敏さは遺伝としてお子様、親御様も備わっているのが普通であります。自分自身が親の背中を見て育ったのであれば、お子様もあなたの背中を見て、良い意味で成長されていると思います。
 
 神経質の人たちは、例え他人が顔色悪く、具合が悪そうでも、決して人にそれを言わない。それだけ、心配りが出来る心根を持ち合わせています。お子様でさえそうである。

 昔、聞いた話でこのような事がありました。
不安症状が辛く、上手く立ち振る舞えなかった1児の母親がいました。日中は働き、話が出来るのは決まって夜。その母は、毎日、出勤前お子さんに手紙を書いておられました。辛い、悲しいは一切書かず、愛情をいっぱいに表現されていたようです。すると、お子様も、お母さんの手紙に、「いつも心配してくれてありがとう。」と返事を書くようになっていました。その結果として、愛情あふれ、どこの家族よりも他人を思いやる心根を持ち合わせた、成人に育っていかれたようです。

 なんとも、微笑ましいことではないでしょうか。
不安な時、鬱々しい時もあります。悲しいときもあります、眠れぬ夜もある。でもその現実を受け入れ、只々、今この一瞬を懸命に生きていくのみです。言葉無くとも、真意は心から心へと伝わるものなのかもしれません。

 

不安障害(不安神経症), パニック障害・各種神経症の症状と心構え, メンタルヘルスONLINE
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by mental-online99 | 2015-11-29 22:46 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 ↑ 遠くに富士山が望めます、武州の夕暮れです。

 不安障害(神経症)の人が、「今日は症状があって何も出来なかった・・。」と言います。

 このように悲観する人に、昭和初期 森田博士は次のように述べておられます。

 「今日も有効な事をしなかった。今日の仕事も貧弱だった。その心持ちが、日々是好日という事になっているのである。その何もしなかったという瞬間の感じが、実は大事な心の発動なのである。今日は何も出来なかったというのは、あれもしたい、これもしたいという事の逆の表し方である。あれも欲しい、これも欲しい、その心が即ち日々是好日である。成り切った時にあるものは、希望である。」

 深いお話ですね。確かに自らを悲観する、叱咤(しった)する、と云うのはむしろ大事な心の発動、出発点であります。高くジャンプするには、深く腰を下ろして、しゃがみ込まないとならない。

 逆に、順風満帆な人ほど気を付けなくてはならない。このように病気を含め逆境知らずして用心は出来ない。調子が良いと傲慢になったり、人の心の痛みさえ分からなくなるもの。

 神経質の人たちは、出来ていないと云う割にできているものです。
「症状がひどく、何も考えられない、歩けない・・。」、と云う割に、鋭く考えておられるし、歩いてここまで来られている。このようなところからも、いかに症状とやらが主観的でとらわれている様子が伺えるのです。
 ひとえに、謙虚でどこまでもより良く生きたい願望を持ち合わせておられる。これが不安障害(神経症)、パニック症であります。

 いつも云う様に、苦悩深ければ微光も明るく感じる。

 もし、悲観する、ダメな自分と思った時には、伸びようとするジャンプしようとする健気(けなげ)な自分を一度で良いから誉めてあげてください。
 がんばろうとしている小心者の自分。不安が強く、びくびくしている自分ではあるけれども、心の奥深くに居るもう一人の自分は、決して弱くない、やる気に満ちた自分なのではないでしょうか。

 


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by mental-online99 | 2015-11-28 18:38 | 不安障害・パニック障害 | Comments(4)
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 一気に冷え込んで参りました。
私の第二の故郷、北海道でも62年ぶりの大雪のようです。駆け出しの頃、走り回っていた札幌。映像を見ては自分自身の郷愁と共に、北の大地への思いがこみ上げてきます。

 ※ 皆さん、多くのメールありがとうございます。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

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 さて、不安障害(神経症)における不安ですが、心を良い状態だけに置こうとすると心に葛藤(とらわれ)を起こしてしまう。かつて経験した調子の良い状態を基準にすることなく過ごしていきたいところです。

 又、不安にも年齢や生活環境によって不安の質も変化してきます。
例えば、自分が年若い独身時であった頃の不安と、家庭を持ちお子様をもった年齢時の不安とでは、まるで異なった景色となる。前者の漠然とした強い不安症状から、後者、子供や配偶者、自分のエイジング的な事が相まった重くリアルな不安など、不安症状に対する表現や感じ方は異なるのが一般的です。

 唯、これらの不安は必要な時に必要な場面で出てきたごく人間らしい不安なのですが、その不安を自分の都合の悪いものとして心から追い出そうすることによって「症状」と呼ぶに至ったものであることはいつも申し上げている通り。


 不安神経症(心臓神経症)のAさんが言います。

 Aさん:心臓のドキドキ感が強く、脈拍も踊ってしまいます。このような事が無いか友人に聞いても無いと言いますが・・・。

 回答:それはご友人が気付いてないだけです。Aさんが敏感だから感じ取れるのであって、ご友人も本当は探せばあるものです。例えご友人が気が付いたとしても、問題にはしないでしょうから話題にもなりません。話題にもならないから記憶にも留まっていないのが普通です。


 このように神経症の人たちは、心身の状態、このほか空気、周りの変化など鋭敏に気付くことができる。鋭敏に気付けるからこそ、本当の病気予防も可能となる。
 つまり、不安、症状と呼んでいたものを持ちあわせるのが自分であり、元々追い出す必要はなかった、別に異常な自分でもなかったと自覚したとき一切の「症状」は雲散霧消に消滅するのです。

 我々の人生、幸せで楽しい日が多いとは限らない。
むしろ、ストレスが大きく、日々心労が絶えない時間のほうが多いのかもしれない。だからこそ用心する。用心するには神経質はむしろ他人より得意である。ここはあっさり予期不安に感謝であります。 


 雨の日は雨の日のまま、風の日は風の吹くまま。良いことがあったり、悲しいことがあったりして、それをそのまま抗うことなく生きていく。
 悲しい時に悲しんではならない、不安な時に不安と思ってはならない、と思うところに囚われを生じさせ、心身の違和感へとつながっていく。

 不安な時は不安でよろし、うれしい時は天地いっぱいに喜べばよろし。
「日々是好日」であります。


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by mental-online99 | 2015-11-26 21:56 | 不安障害・パニック障害 | Comments(1)
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 先日、お歴々の先生方とご一緒したときの話。

 ある70代の先生が、更に目上の先生に、「ますます眼が悪くなって、足腰も云う事をきかなくなって参りました・・。」と静かに話されました。

 すると、目上の先生は、「順調ですね。」、と一言。
これは、順調に年を重ねているではないか、と深く諭された言葉だったわけです。強く打てば大きく響き、弱く打てば小さく響く、まるで茶席のような達人のやりとりが、今も印象深く残っております。現在の事実を受け入れた「そのまま、あるがままに」であります。

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 さて、不安障害(神経症)の、「不安症状」とは不安そのものを心から追い出そうとして悪循環に陥ったものであることは周知の通り。本来、ご自身の長所として役立って出てきた「不安」。これを無くそうとした心の操作から、こんがらがって「不安にとらわれる」結果となった。

 つまり、不安症状と呼んでいるものは、不安のままに成りきって初めて不安は知らぬ間に消失しているものである。本来出るべくして出てきた反応に抗ったゆえの反応、これが不安症状であります。

 慈恵医大初代精神科名誉教授、森田博士の有名な言葉に、「事実唯真(じじつただしん)」があります。読んで字のごとくでありますが、昭和初期に森田博士が、「不安になったときが平常心である。そうなれば不安であるかどうか問わなくなる」と述べている。悲しい時は悲しいままに、不安なときは、びくびくはらはらのままに一瞬一瞬を生きる。これが平常心。

 様々な理想像はあっても良いが、びくびくはらはらする、病気を気にするのが自分であり、これ以外にあなたと云うのは存在しない。
 このように我々の人生は、苦悩や不安を抱えながら生きている。悩みや不安は絶えることは無い。むしろ、絶えない中で、努力し働きもしているのが本当の人生でもあります。しかし、神経症の人たちは、悩みや不安が無くなったら行動しようとする。

 不安があっても、今この一刻一刻を生き抜くしかないと心が抜けたとき、不安に対する価値判断が変化し、不安があっても問題とならない態度が生まれる。元来、神経症の人たちは劣等感の下敷きになっておられる。出来ないと言っては、多くは実際より出来ている。しかし、自分は世間から見てもまだまだ駄目だ、と過小評価される。どうすれば不安が無くなるか、を延々と考える。転んでも転んでも這い上がってこられる。

 このような姿に神経症の人たちは凄いと評価される医師もいるが、私は「神経症に縁のない普通の人たちでは出来ないよ。」と胸を張って言ってのける。取越し苦労の連続は致し方ないが、真面目で几帳面な努力家、そしてどこまでも生きる、生きて成そうとする勇者が神経症の姿である。


 「看却下(かんきゃっか」と云う言葉があります。
事実、神経症に陥り、将来が不安で何もできない、どうすればいいか?と云う青年がいました。
この問いの答えは、「今をやりなさい」となる。先々の不安は先々の不安として、今、正にこの一瞬一瞬を丁寧に懸命に生きるのみである。将来は、この一瞬一瞬の積み重ねであり、この取り組みが先々将来の自分を作ってくれるのです。看却下とは、我々風に申せば、不安障害(神経症)の人たちは、「今」に安定することができない。この一刻に安定できないで、過去、未来をのみ考え混乱する結果となる。

 足下を看て「大事と申すは今日只今の心なり」が大切となるのです。
 



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by mental-online99 | 2015-11-23 18:00 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

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 ↑ 目的であったイチョウ葉、一面の絨毯も既に遅し。暖冬だから葉が散るのもまだ先と思いきや、訪れてみるとすっかり葉は散った後で、清掃されておりました。

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 さて、先日、訪ねたお宅にこのようなお軸がかかってました。

  「開門落葉多」
 (雨を聴いて寒更尽き、門を開けば落ち葉多し)


 この意味は、秋の寒い夜更け、ぽつぽつと降っている雨音が聴こえてきた。夜が明け、家の門を開けてみるとそこには一面の落ち葉が散っていた。昨夜自分が聴いた雨音は、雨で散っていく葉の音であったのか・・・と云う風情ある言葉です。

 今の時代、心休まる暇もないほどのストレス社会。雨音なんかとても聴き入る余裕すらない、と云う人も多いのではなかろうか。それほど生き急ぎ、閉塞な世の中であります。
 しかし、あわただしい日常から、意識的に離れ、心理的孤独とは異なる角度から自分だけの時間を作ることも大切。晩秋の夜長、冷たい雨にじっと耳を傾けてみる。雨に限らず自分に合った、非日常に、心静かに身を置いてみることも必要です。

 
 不安障害(神経症)。

 神経症の人たちは、言い方を変えれば四六時中、不安との戦闘態勢である。不安が顔を出せば、ただちに撃って出る人も多い。しかし不安を相手にすると多くは「もぐら叩き」に陥ってしまうことになる。したがって、いつも述べているように、どうやったら不安と戦わない心が現れるかが重要となる。

 神経症にとらわれ、日が浅い人には難しいと思いますが、神経症の症状と呼んでいるものは、「ごく人間らしい反応」として私共はとらえている。願望、欲望が強ければ強いほど不安も大きくなるのは当然の帰結であります。神経症の「症状」と思っていた苦痛も、価値転換すれば、症状ではなく、これらは自分に必要な長所であったと肯定するようになる。ここを通って不安があっても不安が問題とならない心の態度が形成されてくる。

 はじめ不安を感じたとき、普通の人はこのようなこともある、と通り過ぎるところを、神経症の人はその不快感を無理やり自分の都合の良い心の状態へ心を操作したところに不安症状「とらわれ」を持つに至った。であれば今度は、心を操作することを辞めようとする。しかし辞めようと云う考えそのものが心の操作になるため、ますます悪循環になる。
 不安がくると、自分が大変な病気になったのではないか、重度な精神病になったのではないか、癌になったのではないか・・、不安も百人百色であります。その取越し苦労は、今我々が大丈夫と諭してもらちがいかない。これは致し方無いこと。

 又、神経症の人は徹底的である。徹底的であるがゆえに、どこか心にひっかかりを持っている。しかし、そのひっかかりがあるからこそ、悩み苦しみ、悪戦苦闘を繰り返す。そしてどうにもならない必死必生の体験を超えて不安を肯定する心が展開してくる。その時心が動く。
 この局面を私はいつも、まるで禅僧が悟りを得たような精神状態であると表現している。


 強い不安症状。これは予期不安、その不安と戦ったことで説明できます。不安の正体は、だれもが感じる感覚の違和感を病的に捉えた、「不安」そのものであります。
 最後に、神経症の解決、「心気一転」について森田先生が昭和7年 刑外会の記録で興味深いことを述べておられる。

 「心気一転の普通の場合は、心の内向的が外向的に一転することかと思う。たとえば、自分が今まで足元ばかりを見、自分の勇気の有無ばかりを考えて、どうしても渡ることができなかった丸木橋を思いっきり捨て身になった拍子に、前の方ばかりを見つめて、すらすらと渡り得た時のようなものである。」

 つまり、不安と戦うことを辞め、不安の有る無しを度外視して、一目散に本来やるべきことへ駆け抜けていく姿、、、と見て取れる。

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 関東地方も寒暖の差が激しくなってきました。この時期、インフルエンザの予防注射で大泣きする男の子を見ていると、昔の幼き自分を見ているようです。大泣きしては、周囲の人たちを困らせたんだろうな、と。(笑)




 
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by mental-online99 | 2015-11-19 20:26 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

メンタルヘルスONLINE スタッフの徒然日記。神経症 不安障害・鬱(抑うつ)などを語ります。


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