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 今日は雨模様。現在、気温は23度。
毎日酷暑だった関東地方も、一気に季節は秋へ向かっていると感じさせます。体調管理にはお気を付けください。

 さて、我恩師は生前、神経症には治療者と当時者(本人)との一対一の火花の散る打ち込み的助言が必要といつも仰せられていた。昭和初期、森田正馬先生をはじめ、高良武久先生、恩師 鈴木知準先生など、その神経症治療には住まいも公私共当事者と一緒であり、まさに一対一の人間的再教育の場でもありました。 

 ここに森田病院当時の様子がうかがえる昭和初期の日記があるので紹介したい。
 当時者26歳、学生、主訴:外出恐怖(おそらく不安神経症、パニック障がいと思われる)

 「先生から外出の出来る人はいないかと問われた。誰もいなかったので、私が出来ますといわざるを得なかった。お客の為に、親子丼をとってきてくれと、いいつかる。もうこうなれば、絶体絶命である。この嫌な雨天に、遠いところまで行かねばならない。不安であり、悪寒がし、頭の毛が逆立ちするようであったが、自動車に会っても、すいこまれるような気はせず、電車道も安全に横切った。以前ならばこんな場合、きっと心悸亢進(今でいう不安発作)を起こしそうなものだが、今日は起ころうともしない。帰って門をくぐると、とても嬉しくて洋服びしょぬれのまま森田先生の前にかけこむ。先生、僕は病気が治りましたという。先生はうれしがってはいけない。不安はいつまでも不安のままで、持ちこたえていなくてはならない。と頭から一本撃ち込まれてはっと思う。」

 他方、森田先生の患者であり神経症を解決し、その後森田先生の直弟子で精神科医師となった鈴木知準先生は、以下のように入院者へ指導する。※鈴木先生も入院者と生活を共にされた。

 本人「ごみ入れを手伝う人がいたので手伝った。人のやっている仕事に参加する場合、自分も手伝う方がよいのか、それともかえって足手まといか迷う事が多い。」
 鈴木先生「迷う事が多い、だから私は駄目だ、という気持ちが見られます。ところが迷うからいい、これが一番大切です。僕は迷ったらなぜいけないのでしょう、という評判をつけた。迷うから人に失礼でない態度が展開するし、そこで適当な動きができる。どうせ神経質の人は欲張りで生存欲が強いから、ああしようか、こうしようかと迷う。そこで〇〇さんが徹底したら、迷うことに少しも反対しなくなるのです。迷うことに反対しなくなると、迷うことが苦痛でなくなる。迷っているけれど、おおらかだということです。適当に迷うから、とんでもないとんちんかんなことをしたり、人に失礼なことをしない、それが神経質の人の本来の姿です。集団療法の場合、あの奴はいやな奴だと思ったり、失礼な奴だと思ったりする。その対人的な葛藤の中に、われわれの心は展開していく・・(以下割愛)」 (昭和47年発行 今に生きる 45号 p4,及び p18から抜粋)

 このように入院と云う形ではあるが、先生と公私共に生活する中で、先生たちは当事者本人に一対一の打ち込みをされている。昭和初期、医師と患者と云う人間関係のあるのだろうが、むしろ家族のようなものであった様子がうかがえます。生前、鈴木先生は神経症治療は患者と云うより人生知の先輩と弟子のような関係であると仰っておられ生涯白衣を着ることはなかった。

 まさに、「啐啄同時(そったくどうじ)」。
啐啄同時(そったくどうじ)とは、、鳥のひなが卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」。母鳥がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」と云って、親子双方が一致し同時に殻を破ってこそ鳥のひなは誕生することができる。
 これになぞらえ、指導者と弟子とが同時に打ち込んだ時、人間的修正がなされ、神経症の解決に導くことが出来ると例えることができます。

 明日も皆さんにとって良い日でありますように。

 




不安障害(不安神経症), パニック障害・各種神経症の症状と心構え, メンタルヘルスONLINE
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by mental-online99 | 2015-08-30 17:27 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 以下、以前ブログでご紹介した記事をを再掲載しておきたい。

 アルコール依存症、薬物依存症(危険ドラッグなど)の支える側、家族についてお話をしたいと思います。


 いわゆる保護の後、強制入院に伴う、病院受け入れ要請から病院搬送。 特にアルコール依存症や危険ドラッグの対応依頼がことのほか多い。私どもの経験をもとにアルコール依存症や薬物依存症(危険ドラッグ、脱法ハーブを含む)を述べさせていただくと次のようになる。

 1.一程度以上進行した依存症は自らで治せない、と知り分けること。
 2.「病気」であると認識すること。家族会議や気の持ちようでの解決は困難である。
 3.本人だけの問題ではなく、むしろ周囲の家族のほうがこころ病んでいく場合もある。
 4.専門医師に従う。(国内でも限定されるため入院先は遠方になるケースが多い)

 
アルコール依存症、薬物依存症。年間多くの患者と云われる本人の病院搬送をしていますが、家族の決断に行き着くまでに、「今度こそ(薬物やアルコール)辞
めると言っているので、もう一度本人を信じて様子をみてみる。」、と長引かせてしまうケースが多い。しかし、これは家族としてやむを得ないと思う。

 これは、本人が一瞬穏やかに、「治ったのかではないか、このままなんとかなるのではないか、」と、なんとも落ち着いた姿になる局面がある。その姿を見てしまうと、さすがに家族の心はぶれてしまう。だが、これはいとも簡単に期待を裏切られるのが一般的である。

 

一度、依存症と呼ばれる領域にまで至った人たちの進行を食い止めるのは困難であることを私たちは知っている。第一に、多くの依存症は進行性であると云うこ
とを知り分ける必要がある。確かに、軽度の場合は、家族会議やしっかりしろなど掛け声でなんとかなる場合もあるが、一程度以上、日常生活に支障をきたすま
でになった「依存症」であればそれも困難と云う場合が大部分である。
 
 また、角度を変えてみれば依存症本人を救うことも重要だが支えている配偶者や家族、もっと云えば子供たちの精神状態をこれ以上悪化させないことを最優先に考えなくてはならない。ここが私たちメンタルヘルONLINEが最も重要視するところである。
 毎日のように搬送現場を見てきて思うのは、その依存症本人を支えてきたご家族の心理状態、生活環境の悪化が顕著にみられる。そこには、長年月にわたる本人と悪戦苦闘してきた親御様や配偶者の憔悴しきった姿があります。

 
一方で、いろんな人達から、本人の身体が持たなくなるまで家族は待つ、経済的に買えなくなるまで待とう、などと云った助言をなされてくるご家族も多い。し
かし、私たちの経験則から申せば、ここに行き着くまでに支えている家族、子供たちの精神状態は高い確率で支障をきたす。事実、私たちのもとにたどり着き、
ご家族と面談をされるころには、むしろこの直前段階の家族も少なくない。

 たしかに本人の入院加療も大切なのでありますが、いち早く残された家族を守ることも大切。本人に対しやるだけのことをやったと思うことができるのであれば、本人が医療にかかる、かからないに関わらずあなた自身が本来の生活を取り戻していくことも重要であります。
 本人が家に居る居ない、飲んでる飲んでない、機嫌が悪い悪くない、などに振り舞わされることのない生活をどうすれば取り戻せるのか、いわゆる支える側のメンタルの確保こそ最優先に考えなくてはならない。

 支えていく家族が倒れ、こころが病んでしまえば、それこそ本末転倒。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、強制入院の病院搬送を最前線で従事してきた経験からマニュアル的な助言ではない、現場の声としてこれらを申し上げておきたいと思います。

依存症ご本人に悩まされているのも、あなた。家族を守っているのもあなた。アルコールや薬物を購入する経済的支援をしているのもあなた、問題を起こした本人を守っているのもあなたなのです。

 

アルコール依存症・薬物依存症、人格障害・統合失調症の精神疾患の病院施設搬送は、メンタルヘルスONLINE

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by mental-online99 | 2015-08-27 09:48 | アルコール依存症 | Comments(0)

不安の正体

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 神経症の不安は役立っている。
といっても、急性期の人たちはピンとこないであろう。症状を持ち合わせて日が浅い人達からはむしろ、その温度差からお叱りを受けることもある。これは致し方のないことです。だけども、いずれ神経症やパニック苦悩を超えた体験者たちの言葉がぴたりと分かる時期が来るものと考えます。

 さて、希望や願望が多ければ多いほど不安に陥りやすくなる。高い山に登れば不安が増すのと同じで、願望が強ければ強いほど、不安も強くなってくる。まさに、欲望と不安の法則ともいえるようです。欲望(願望)と不安の相関関係は、裏表、光と影のように両面を冷静に見つめてみると理解できます。

 冒頭でも述べた、「不安は役立っている」。これは、神経質があるからこそ、仕事にも家庭でも、その几帳面さが裏方として発揮されている。表では不安がなにやら賑やかでありますが、目立つことのない裏方では黒子のように神経質の不安も役立っているのです。

 神経症の解決はくどいほど申し上げている、実体験を通じて心身で覚えることが重要。神経症やパニックなど、書店へ行けばあらゆる本が並んでいる。しかし、いくら読んで知的に理解したところで、所詮は情報に過ぎない。旅行ガイドブックを読んで現地を知っていると言うのと同じ。もちろん、このBlogも同じ。情報を体験をもって、自分の技に変えていくことこそ大切なのです。

 料理に例え申せば、数分で出来るTV料理番組や本も多数あります。しかし実際に自分で料理をやってみると、どうもうまくいかない。味付けひとつにしても、書いてある通りにやっても自分の好みの味ではない。味付けの好みも人様々です。まさに実体験を通して、そこに工夫と修正が必要となってくる。ここを通って、自分の味、スタイルになり深みも増してくるものです。

 神経症やパニックも同様で、その不安症状の感じ方も人それぞれで異なる。その解決へ向けた手法なりスタイルというのも、不安症状の真っ只中で必要事に成り切り、不安と一体化し、試行錯誤してこそ血肉になっていく。私どもは、不安が起こった場合、その不安を紛らわすような行動をしないように、と説く。紛らわす行動をとっていると、どうも不安を回避する行動、不安がどれほど良くなっているか、悪くなっているか、といった不安を四六時中観察する行動がいっそう堅固になりがちである。

 この不安症状を我々風に述べれば、誰にもある小さな違和感に注意を向け、そのことを大変な病気になったと意識し、それを取り払おうと「はからい」をした為に、不安が雪だるま式に大きくなったものである。不安を取り払おうとはからった事が、心に停滞を起こし、身動きができなくなったのである。
 つまり、不安を追い払おうとしたり、逃れようとしたり、忘れようと、克服しようとする、一切のはからいを断たなくてはならない。はからいを断つとは、これらを辞めようとするのではなく、不安症状をそのままに、あるがままに受容していく事である。

 不安を取り払おうとした行動そのものが、「不安」の正体であったわけである。

 
 さて、これも昭和初期、森田博士に診察を受けた人が書き綴っています。
「私の訴えを一通り聞き終えると博士は深い同情のこもった声で『この世の地獄ですね』と言われました。その言葉がじいんと私の胸に響きました。ここに私の苦しみを分かってくれる人があった。それは自分の力で苦しみから抜け出そうとこれまでいろいろやってみましたが、みんな失敗に終わり、万策尽きたあげくにたどり着いた他力本願の境地でありました。(省略)」

 確かに不安症状を自己流で解決するのはなかなか難しい。誤解を恐れず申せば、これは師と弟子のようなもので、実際、恩師鈴木博士も精神科医師でありながら白衣を生涯着ることはなかった。これは鈴木博士自身以下のように述べておられる。
 「ここでは(当院)、神経質の患者と治療者である私との関係は、人生知の先輩と後輩との関係であり、普通の医師と患者との人間関係とは少し趣を異にしたものである。森田博士の時代には、人生知の師匠と弟子の関係に重点があったが、今の治療者である我々もまた、森田博士の弟子であり、やはり一番ぴったりするのは人生知の先輩後輩の人間関係であると思われる。ここの診療所の他の医師や看護師、同期の神経質人はともに、補助関係であり、やはり治療者と神経質人との一対一の人間関係が治療の主役であると思われる。」

 不安は浮かべておけば良い。
 頭に浮かべていれば、いつしかそれが消滅していた事を体験する。
 それは、消滅=神経症であったことを忘れている、という境地かもしれない。
 不安を相手にすることが面倒になり、ばかばかしくなり
 不安を測定しなくなってくれば、
 不安を頭に浮かべていても、なんら不安でないということがわかってくる。
 体験的にひとつ分かれば、つぎつぎに分かってくるものです。


 
 明日も皆さんにとって良い日でありますように。




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by mental-online99 | 2015-08-23 20:38 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

慈愛溢れる先生の思い出

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 お盆も終わり、帰省の度に吠えてた近所の犬も居なくなり、何やら淋しさと年齢を感じた2015年夏。皆さんはどのような夏をお過ごしでしょうか。
 
 さて、神経症の人たちは、自分ほど苦しんでいるものはないと感じ嘆き悲しむことが多い。大勢の類縁の友が集まり、「この中で自分がもっとも苦しいと感じる人は手を挙げてください」と云うと大多数の手が挙がる。

 神経症は10人いれば10人が異なる症状を言います。
心臓不安の人、過呼吸不安の人、パニックの人、胃腸症状の人、対人恐怖の人、わかっちゃいるけど辞められない儀式的行為の人・・・・挙げればキリがありません。しかし皆、共通しているのは、「とらわれ」である。

 とらわれ、という大きな木の幹があって、枝葉として、いろんな症状が存在する。従って、心臓や過呼吸、胃腸、対人と局所的に対処するのは少々異なるように思うし的が外れていると思う。
 たとえば、静かに注意を集中して、どこかかゆいところがないか探してみると、かゆみは出てくる。あるいは、注意を集中して、心臓の鼓動を聞いてみると、うるさいほどに聞こえるものです。神経症はこのように、何かのきっかけで心身の違和感を覚えたその「違和感」を、誤って「症状」として持つに至った。誰もが経験する心身の違和感を神経質の人は特に鋭敏に感じ病気と捉える。又、ここで決着を着けようとするので、独自の観察をした結果、四六時中とらわれるに至ったのである。

 ここで、昭和4年の森田先生(慈恵医大精神科初代名誉教授)との中で交わされた当時の診察を紹介したい。

 『私が森田を訪れたとき、言い渡された診断は、「君の不安も雑念も対人恐怖も治らないよ」というのであった。それは「病気ではない。僕も同じで一般普通の心だからだ」という。これが根本的修養の目的であって、「僕は根本療法は上手だがごまかし療法は下手だ」、「もう帰っていい。どうしても解からなければ、ここで修養するより仕方がない」と、今も「こんなに悪いのにひどい医者だ」と思いながら帰ったことをはっきり覚えている』、、と昭和初期当時の体験者は言っている。

 もちろん、昭和4年当時、大観音横丁(現文京区)にあった森田邸(病院)。ここではこのような短時間ではなくもっと慈愛に満ちた診察だったと想像することが出来る。当時、なぜ神経質か、と云う事に森田博士は、病気でないから、また衰弱でも、変質でもないから、病とか衰弱という名称は、事実を表示するものではない、と言っておられた。又、この頃、森田博士の学説を政府機関が取り上げたことは珍しいことでもあった。

 さて、神経症症状が浅い人には何をとんちんかんな事を言っているのか、と小言を云われるかもしれないが、この神経症の苦悩は、その精神葛藤で苦しんだ後に、その深い人生観に到達するものと思われる。ここを通って、神経症になる前の自分よりも、ずっと元気になり、自分の人生を豊かにして、社会的にも大きく発展されていくと感じる。現に、万策尽きて、毎日涙を流し苦悩してきた人たちが、この過去をもったことが大きな幸福を導く結果となったことを我々は知っている。

 昭和初期、森田博士にある人が質問をされた。
「もし神経質に悩まなかったら、今頃は、もう少し何とかなっていたであろうに」と博士に言った。
森田博士は、「僕らも、そのように思ったこともあったが、ほんとうはそうではない。神経質に悩んだことが、きっと君の人格形成上、どんなに役に立ったかが分かるときが来る」、と言われた。

 昭和初期当時、森田博士の下で修養された人が振り返る。

「自信のないままに帰宅してみると、家族も店員もみんなで迎えてくれた。妻は、まあ、あなたとても肥ったわ、と叫ぶように言った。たしかに体重も増えていた。それに顔つきがよくなって、見ちがえるくらい、と言ってまじまじと私の顔を見つめる。心の状態がガラリと変わったので、顔つきも変わったに違いない。
 そのかわり、妻の方は、すこし痩せたようである。無理もないことである。私が神経衰弱(神経症)で苦しんでいた間、店の経営も、家庭の世話も、一切が妻の痩せた肩にかかって来たのである。それに泣き言ばかりいう、ひどく厄介な病人をかかえて、妻はどんなに苦労した事であろう。
 森田先生は退院した私を、心配なさるほどでもなくとも、様子を見に来られたのであろう。ある日、私が一生懸命に店で働いていると、先生が静かに店の入り口を入ってこられた。はじめて見る、ニコッとされた先生の笑顔は、やさしさに一杯である。「〇〇君、元気かね」と、訪ねてくださった。すぐ帰られたが、それは私にとって、一生忘れることのできない慈愛者の姿であった。(森田療法入門 上 p184より抜粋)

 有りすぎると、有ることのありがたさが分からなくなる。
 身の回りの形あるものを永遠と見、執着の心(とらわれ)を起こし、迷いも生じる。
 予期した不安は起こらない。
 取越し苦労よりも、
 事実唯真(じじつゆいしん)
 事実こそ真実であります。
 
 明日も皆さんにとって良い日でありますように。




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by mental-online99 | 2015-08-17 20:38 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 溜息を言葉であらわすのが困難なように、

 神経症(不安障害)における不安感も筆舌では言い難い。


 なぜ強い不安感に襲われてしまうのか?

 この強い不安症状は、以下2通りから成ります。

 ①不安症状の真っ最中である 「現実の不安」
 ②まだなってもいない将来に対しての「予期不安」



 私がこれまでの対応した経験では、不安全体を10とすると、

 現実の不安1、

 予期不安9

 の割合で説明できます。


 そして、ここで自分が何に囚われているのか?

 この部分をじっくり知り分ける必要があります。

 不安の真っ只中では、

 そこから逃避したい欲望と、

 先々自己実現するために逃げてはならない欲望がぶつかり合います。

 

 死の恐怖の裏側に潜む

 自分が自己実現するための欲望とは何なのか?

 まずは、これをしっかりと自覚しておきたい。



 逃避したい欲望をあるがままに受け止め、

 遠ざけていた自己実現の欲望を取り返していく。

 言葉では簡単だが、

 それを実現するためにはどうすればいいのか、、。

 
 神経質な神経症の人たちの多くは、既に堅固に自我形成されている。

 あー云えば、こーと、返答も跳ね返ってくる。

 また、自分はこれだけ苦しいんだ、と云う同情を身内に求めてしまいがちにもなる。


 症状の愚痴や、態度をもって無言の同情を求めているうちは、神経症の解決も遠くなってしまう。

 神経症の人たちは、元来、大切に育てられてきた人が統計的にも多い。

 したがって、身内の過干渉を打破し、一途に、心理的自立を目指していかなくてはならない。

 それは、自分はこれほど苦しんだ、、と同情を求めるその姿、言葉で説明ができる。

 
 これらの心を修正していくとやがて、

 不安を相手にすることも徐々にではあるが面倒になってくる。

 さらに、不安症状であるのかどうなのかさえ解からなくなってくる。

 つまり、不安に反対しない心の態度が形成されてくる。



 
 闇が深ければ、微光もその明るさを増す。
 
 苦悩深ければ、些細なことにも喜びになる。

 徐々に徐々に、心に光が差し込んできます。

 
 明日も皆さんにとって良い日でありますように。



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by mental-online99 | 2015-08-10 20:42 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

必死必生の体験

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 連日の猛暑が続いております。体調管理、お気を付けください。

 さて、今日は難しい内容かもしれない。
このBlog、特に神経症などにおいて禅語が使われます。
これは、今は亡き森田療法の恩師、鈴木知準博士の流れがあってのもの。昭和の時代、博士は以下のように述べられています。

 『私の現在の治療法を組み立てるに至ったのは、全く禅とは関係ない。私の著書にもある通り、西洋流の療法から、次第に発達、脱化したものである。強迫観念の本態を知ったのは、心理学的であって宗教的ではない。強迫観念の療法は、その精神の葛藤、煩悶を否定したり、回避したりするものではない。そのままで苦痛煩悶を受忍しなければならぬ。これを忍受しきった時に、そのまま煩悶、苦悩が消滅する。禅やその他の仏教で、煩悩無尽誓願断とか煩悩を断つとかいうけれども、私の療法は決して断つのではない。煩悩のままであるのです。私の著書に、禅語の引用がされているのは、皆強迫観念の治療に成功したのちに、初めて禅の意味が解かるようになったものである。即ち禅と一致するからといっても、禅から出たのではない。私が神経質の研究から得た多くの心理的原理から、禅の語を便利に説明することが出来るようになったのである。」(昭和四十九年)

 さらに、「神経質(神経症)を脱皮した状態は、禅の悟りと近縁性のものだ」とも恩師は言う。

 又、昭和初期、慈恵医大精神科初代名誉教授であった森田正馬博士は日々是好日なる論文の中に、次のようにも言っている。 「・・・禅に関しては、その外、白隠禅師の内観法の真似をしたくらいのものである。それ故禅の公案とか悟りとかは、何だったか見当がつかない。知人の間に公案の十も百も通過した人があるので、たずねてみるが、如何なる場合に悟るか腑に落ちない。はっきり教えてもくれない」と。

 森田療法の創始者である森田正馬博士とその弟子、鈴木博士も心機一転の前に神経症症状の限界状況に陥り、必死必生の経験を通っている。その後医師となり、自らの体験を基に森田療法を創始するに至った。つまり、禅者である盤珪や白隠禅師の禅修行の限界状況同様、仏教臭をとりのぞけば、きわめて近い心的経験であると思われる。

 さらに森田博士が日々是好日なる論文で続ける。
「強迫観念のはからいの無くなった、有りのままの、成り切った心は如何に楽なものであるか、治癒した人が、はじめて経験するのである。しかして、このはからいの無くなった心こそ、仏性論でいうところの、『前に謀らず、後を直らず』ということなのである。・・・私は禅の公案が唯一つでも、例えば『無』が一つ本当にわかりさえすれば、強迫観念はなおる筈だと思うのである」

 このような必至必生の体験があるからこそ、前回の言葉、
「光雲無礙虚空の如し(こううんむげこくうのごとし)」などが、使われるのであります。神経症症状に当て嵌めると、「雲はあるが晴天の如く光かがやいている。一切の不安はさわりと感じられない。光は全身をおおっている。」、と云う事の意味です。



 明日も皆さんにとって良い日でありますように。



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by mental-online99 | 2015-08-04 21:00 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

メンタルヘルスONLINE スタッフの徒然日記。神経症 不安障害・鬱(抑うつ)などを語ります。


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