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不安もやがて他人事

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 神経症の不安症状は、その神経質性格の特徴である完全主義、強い意識性、内向的傾向の結果として持つに至った「当然の精神的葛藤」、と理解する。すなわち、その不安症状は、不安心に反対した(拮抗した)から、それが不安症状として発現したものである。その不安症状に反対、拮抗しなかったら不安は良い意味で役立って流動し、心身に停滞しなかったであろう。

 神経症の根本的解決は行き着くところ、不安があってもこれに反対しない心の態度、不安と戦わない心の態度をどうやって築き上げるかである。この態度は自らの意志では作り上げることは出来ないことを私たちは知っている。神経症の人たちは、不安心を自らの意志で除外し追い出そうとし、不可能を可能にしようと心を操作したところに、心の流動が停滞し、「とらわれ」に至った。

 不安があっても反対しない、心的態度はやがて潜在的に発現してくるものである。これらは、不安症状に悩みぬき、まさに退路を断った心理状態とでも申しましょうか、いわゆる、「やけのやんぱち」を通って展開してくる心の状態であります。そのためには、症状を持ち合わせたまま、必要事に入っていく行動が必要。不安から逃げていては益々不安症状が常住してしまうことが多い。また、「不安が最近無くなった」、と云って喜んでいるうちは、症状が現れたらたちまち困ることに繋がります。そうではなくて、不安があってもかまわない、相手にしないと云う態度をどうやって築くのか、と云うことです。

 昔、今は亡き恩師が言っておりました。
「不安神経症など電車に乗れない人が、ひとつ元気を出して用もないのに乗る練習をいくらやっても駄目ですね。むしろ自己観察になってしまって余計に不安になる。心臓が踊らなくなったと喜ぶ、そんなことは治ったのでもなければ何でもなく、心臓は踊るときは踊るということです。心配になるときは心配したら良い。そこに本来の神経質その人なりの良いところが現れている。前のいろいろな葛藤があった時を超えて、不安があってもかまわない、反対しないところにやがて心が到達するのです。これは、神経質の人が行き着くところです。」、と。

 少々難しかったでしょうか。

 つまり、不安があってもやがては、他人事になってくる。自分の不安や症状があっても徐々に反対することが少なくなってくる。そして同時に不安は自分に役立っていることを知ることで、成長をされていく。今日、症状が有った無かったを問題するのではなく、今日一日、どのような行動をしたのかに重きを置いていく。すると、今日症状が有ったから悪い一日になった、のではなく、症状はあったけれども、必要な行動をやり遂げたから良い一日であったと云う、心的態度の修正も徐々になされていくことでしょう。

 


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by mental-online99 | 2015-03-31 20:23 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

桜花 そして 闇と光

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2015年3月30日、ようやく桜が開花しました。

桜花見て、春爛漫と楽しく思う人もいれば、

桜花見て、当時の悲しさを思い出す人もいる。


そんな中、


私たちの人生、不安だらけである。

闇と光。

闇があるから、光が引き立つ。


闇と光、それは表裏一体離れられないもの。

闇が深ければ、わずかな光でさえ明るさも増す。


不安、苦悩が深ければ、些細なことも喜び、幸せを感じれる種となる。

こころの光を感じ取れるのは、闇あってこそ。



神経症は意識性、完全欲、生存欲がもっぱら強い傾向にある。

故に、いろいろな不安、取越し苦労に満ちている。

不安があっても逃れようと心を操作せず、浮かぶままに居る。

あぐらをかくように ただ居る。

よろよろでも、行動だけは崩さず健康人らしくするよう努めていく。

すると、不安もいつしか消退し

自ら不安解決の道が開けてくるものです。





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by mental-online99 | 2015-03-30 20:53 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 ↑ ムスカリです。 この藍色がなんとも「凛」として愛らしい。人差し指くらい小さいのにこの存在感(笑)


 さて、先日ある神経症の人が、自分自身の弱さに嫌気をさして悩んでおられた。だけどもこれは、裏を返せば自分が好きだから、信じているから変えたいと云うことに繋がる。


 不安症状で悩む。なんとか治したいと奮闘する。

これは、こんなところで朽ち果てる自分ではない、とする力強い立派な精神力である。症状がきつくても、家族の目を気づかい、孤独に頑張るその力強い心根の持ち主である。私は、遠路ここに来る神経症の大部分の皆から、必ず這い上がってみせると云った気迫さえ感じます。


 必ず這い上がると自分を信じているから、ふらふらになりながらも奮闘する。これは神経質人ならではの精神力であります。多くの神経症の人たちは、控えめで内向的な性格なのでありますが、こころ奥深くは願望の炎でいっぱいであります。まずは、今一度このような自分を誉めてあげると共に、自分を嫌いだと云う人がいれば、愛しているからこそ変えたいのだ、と自覚して益々邁進して行って頂きたいものです。


 ただ、あくまでも「健康人らしく」。

思いやりをもった日常生活をしていかなくてはならない。神経症症状の同情を家族に求めたり、症状の愚痴ばかりを言う、所謂病人なんだからと家庭内でひきこもってしまっては悪い神経質が前面にでることになりますから注意が必要ですね。



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by mental-online99 | 2015-03-29 18:57 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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  ↑ ユキヤナギです。


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  ↑ 桜の開花はもう少し・・。




 さて、私たちは、「希望」がある分その裏側には、「不安と悩み」が共存します。

強い希望があれば、強い不安が両面観として存在するのは心理学的にも説明できます。しかし、往々にして心を病む人たちは、「不安と悩み」ばかりに心が向いてしまう。そして有ること無いことごちゃごちゃと考え、取越し苦労を重ね、自分を見失った結果として精神症状を持つに至ったケースも多い。


 例えば、

「管理職になって給与も安定させたい、幸せになりたい」、これは希望であります。しかし、心の裏側では「失敗したらどうしよう」といった、防衛反応が働き不安感が存在する。親からは、「迷惑をかけるなよ」、「安定した・・」などと言われて育った人ならなおさら、その一歩に踏み込めないこともあります。家族の目、周囲の目を気にする余り自分の決断もできなくなるし、葛藤不安感も大きくなる。


 今、悩みが多く苦しいと云うことは、逆説に云えば、「希望も多い」ことに繋がります。

その希望に気付いていない人が多い。本来あるべき自分を見失って「負」の面だけをみて悲観と不安のスパイラルに陥ることもあります。人に悩みを相談すれば、ある人は「右」と言い、ある人は「左」と言う、またある人は「直進」だと言う。こうなると、ますますこんがらがってくる。 また、過干渉、溺愛され育った人なら親の意見が優位になり、自分の意見、発言力も薄くなる。この場合、本来あるべき自己の欲望も親の一言でもろくも不採用となり益々自身も脆弱になっていく。


 大切なことは、悩みや不安が多いことは何も不運云々ではなく、明らかに自分に「希望」が存在することを認めること。認めることが出来たのなら、不安なままビクビクはらはらのままに、とにかく自分のチカラで動いてみること。私たちには、時に待ったの無い人生の分岐点があります。ここで悩みがいのない取越し苦労で見過ごしては折角の「希望」も見失うことになります。悩む時間が大きくなれば、希望とは逆のほうに潮目が向いてしまうことも間々あります。


 ビクビクはらはらなままに行動する。覚悟を持った、自立した大人の行動をする。

もちろん、負け戦にならないよう分析は必要ですが、分析をするには多くの失敗経験が必要です。悩み不安の裏側にある希望を自ら確認すること。ここで覚悟して行動した人だけが、希望を現実に変えることができると考えます。



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by mental-online99 | 2015-03-27 18:38 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 ↑ 葉桜と思いきや、はなもも。

 花粉と黄砂が吹き荒れ、車をなんど洗ってもガラスが黄色い。
知人の耳鼻科医師もインフルが終わっと思えば、今度は花粉で混み合う待合室。髪の毛を振り乱して働く彼の姿もすっかりベテラン、春の風物詩であります。

 さて、今日も不安神経症、パニックの不安症状について。
恐れるな、と云ってもこれは無理からぬことです。平常心には戻れぬのではないか、と考え恐れる。しかしこの心理状態はとても人間らしい反応と思います。ですから、恐れるときは、恐れるままに。むしろ、そこで恐れてはいけない、と心をいじくらないことが肝要です。ただ、いくら不安に陥っても、悲観のあまり憂うつになっても、身体症状が現れても、決して想像したような結果にはならないのが神経症。

 慈恵医大初代精神科名誉教授、森田正馬先生(明治7年~昭和13年)の講和内容を参考までに記述しておきます。昭和初期の講和ですから昔の表現はご容赦ください。

(当事者A): 私は卒倒恐怖に悩んでいる者であります。じつは私は十数年来禅をやっておりまして、100ほどの公案を通過いたしております。禅では、「平常心是道」ということを申しますが、私も座禅するときには平常心となることができます。しかし電車の中で卒倒しそうになるときには、どうしても平常心になることができないのです。どうしたらよろしいでしょうか。

(森田先生):私は禅のことはよく知りませんが、あなたのいわれることは、少しまちがっているように思われます。死はおそろしいし、腹が減ればひもじいにきまっています。あなたの場合ならば、電車にのれば卒倒するのではないかとおそろしい。それが平常心ではありませんか。そもそも、平常心というものは、つくるものではなくて、あるものであります。おそろしいならばおそろしいままの心、それがすなわち平常心であります。
 
 なお、苦痛や恐怖になりきるということは、苦痛をそのまま忍受し、苦痛をのがれるための小細工をやらないことであります。たとえば、ある不眠の患者は、先日の診察で私がいった「いくら不眠でもかまわない、薬をのんだり、眠る工夫をしたりしてはいけない」ということを実行したために、きっそくその晩から安眠ができるようになった、ということであります。

(当事者B): 私は心臓神経症でございますが、やはり同じような考え方でよろしいのでしょうか。

(森田先生) まったく同じことです。私どものもっとも根本的な恐怖は〝死の恐怖〟でありまして、それを表から見れば〝生きたい〟という欲望であります。死にたくない、生きたいというのは誰にも共通する本能的な欲望であります。さらにその上に私どもは、よりよく生きたい、人に軽蔑されたくない、えらい人になりたいというような向上欲に発展し、複雑きわまりないさまざまの欲望となるのであります。それで、神経質の症状に苦しんでいる人は、なぜ病気がおそろしいのか、なぜ不眠が苦しいのかと、自己反省によって追究してゆけば、けっきょく生きたい、発展したいという欲望がつよいからだ、ということがわかってくるのであります。このように、自分の心の奥底までわかるようになるのを自覚といって、人間として修養が積むほどその自覚が深く正しくなってくるのであります。
 私自身の自覚について一例を上げてみますと、私にとっては〝死〟はいかなる場合、いかなる条件の下でも、つねに絶対的に恐ろしいものである、ということをハッキリ自覚しています。たとえ私が125歳まで生きたとしても、〝死〟がおそろしくなくなることはけっしてない、ということを予言することができます。私も少年時代から40歳ごろまでは、何とかして「死」をおそれないようにと、いろいろ工夫もやってきましたけれども、〝死はおそれざるを得ない″ということをハッキリ知ってからのちは、そのようなムダな骨折はやめてしまったのであります。
(以上、刑外会より抜粋)

 神経症の皆さんはやがて、不安があっても問題とならない心の態度へ行き着く。
不安があっても、パニックが顔をだしても、相手にしないところに心が抜けていく。森田先生は昔の言葉で更に云っている。

 (森田先生):「神経質(神経症)の症状は注意がその方のみ執着して起こるものであるから、患者の精神の自発活動をうながし、その活動を広く外界に向かわしめ、限局性の注意失調を去って、無所住心の境涯にみちびくことにある。」(以上、森田先生)
 森田先生の云う無所住心とは、どこにもおかない心、流動の態度と解釈できます。

 つまり、ここで大切なことは、自分の意志の力で、自分の意識(心の持ちよう)を自由にすることは不可能であると云うこと。こころを操作し、不安や観念を超えようとすることは悪循環である、と云った自覚を通って、不安があってもかまわない、不安と戦わない心が自然と芽生えてくると思います。これこそ、平常心是道(へいじょうしんこれみち) - はからいのない心、あるがままと云うことですね。
 

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by mental-online99 | 2015-03-25 19:43 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

お彼岸

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 お彼岸ですね。

 先日、家系図を作ろうと自身の戸籍をさかのぼれるところまで取り寄せました。すると、1837年(天保8年 徳川家斉が隠居の年)の先祖まで辿ることができ、少々幕末ロマンに浸っておりました。天保8年、この先祖がいるから今の私がいるわけで、何やら感慨深いものであります。いつの日か時間があれば、江戸時代、戸籍記載の住所地を訪ね歩きたいと思います。


 さて、鬱や神経症。

 まず、不安神経症の身体症状。これはくどい様に申している通り、10人10色であります。めまい感、胃腸症状、頭痛、ふるえ、過呼吸、筋肉の支障、心臓の違和感、夜間就寝時のパニックなど挙げればキリがない。身体症状がある場合はその検査をして予めルールアウトする必要がありますが、その後異常が無かったら口に出さない、症状の愚痴を一切言わない事。これが神経症解決の大原則なのは云うまでもありません。


 これら神経症の身体症状、多くはクセのようなもの。症状が有った場合、どうしても症状を観察して奥に奥に入り込んで観察してしまう。すると、症状がクセとして固定化され頻繁に出やすくなる。特に症状が辛くて寝込んでいると、症状を観察する余り、症状に「とらわれ」抜け道がなくなってくるのは多くの人が体験しいるところであります。寝込んではより症状と向き合うため、できれば常に何かをしている生活をしたいところです。


 観察の次にくせものが、云わずと知れた「予期不安」。

 まだなってもいないのに、「倒れるのではないか」、「心臓が止まるのでは」、「重篤な病気になっているのでは」、と取越し苦労をする。騒がなければ、煩悩の犬も目覚めなかったのであるが、起こしてしまった「犬」はなおさら騒がしく心臓も益々ご清栄にと、ドキドキしてくる。これまで何度も、倒れることもなかった、心臓も止まることはなかった事はご自身の経験則で理解ができていると思います。であれば、自分の体をもっと信じ、暴風雨が去るのを只じっと待つこと。この「待つクセ」を今度は学ばなくてはならない。


 さて、改めて、

 完璧を求める人ほど、不安も強いし凹む速度も速い。一方、ほんの少しでも満足できる人は境遇に従順であります。だからと云っておおらかに成れではありません。


 看脚下(かんきゃっか:自分の足元を見よ、という意味)と云う有名なことば。


 例えば何かに、あるいは誰かに頼って生きていると、それらが失われたとき一歩も進むことができません。その時は自分も見失って行き場さえなくなって人生の迷子になります。又、上に上に焦ってガツガツ登って行っていては、足元を踏み外してしまう。

 大切なのは、前に進むときは、「足下を見ること」。たとえば、将来が不安だと云う人がいれば、「現在をやること」と助言します。つまり、先々の不安は先々の不安として、今(足下)を丁寧に取り組むこと、今の取り組みが先々の自分を作ってくれます、と説明します。


 加えて、森田先生が云います。

 まず病と健康ということについて一通りの理解をもつことが必要である。病ということは生命に対する障害である。生命とは、よく生き永らえて、その生活を全うすることである。生活を全うすることが目的であって、生き永らえることは手段である。たんに生き永らえているだけでは、それはいわゆる酔生夢死である。それを健康ということはできない。




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by mental-online99 | 2015-03-22 20:01 | 精神疾患 | Comments(0)

トイレの落書き

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画像はイメージ。

 仕事柄、よく行くベッド数200ほどの精神科病院。そして決まっていつも利用するトイレ。そこには、いろんな落書きがされていました。
 
 「治らないよ・・・」、と書かれていれば、今度は、「お互い頑張って治そうぜ!」、など数百くらいはあるでしょうか、単なるトイレの落書きではあるのですが、お互いお顔の見えない独特の世界がありました。鉛筆で書かれた落書き、ボールペン、マジック・・と長年の歴史が感じられていました。あまりにも気持ちの入ったある長文の落書きには、顔の見えない類縁の友たちが、激励する言葉がずらりと並んでいました。

 顔の知らない人たちが、お互いに励ましあって「ありがとう。」、、の言葉の落書き。
震えるような筆跡、大きな文字で、「ありがとう!」、弱々しくか細い「ありがとう」・・など、トイレならではの心の通った空間でした。しかし、先日訪れてみると、トイレ内がきれいに塗り替えられていました。
所詮トイレと云えばトイレなのですが、非常に残念でした。患者同士が心を通わせた歴史と云いましょうか、足跡がいとも簡単にきれいに塗り替えられた壁、ドア。

 患者さんは、本当の意味で孤独。
心理的孤独です。誰にも言えない、親にも、配偶者にも、友達にも。そんな中、唯一、どこの誰だか知らないけれど心を通わせた類縁の友たち。

 心の疾患があっての精神病院なのかもしれませんが、あの落書きには、病気などみじんも感じられないほど、優しくたくましい言葉が添えられていましたよ。

 きょうはホントの日記。



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by mental-online99 | 2015-03-21 21:56 | 不安障害・パニック障害 | Comments(2)

木を見て森を見ず

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↑ 航空機が飛行する 夕暮れの街並みです。

 不安神経症を解決(克服)した人が云います。
「今でも不安は顔を出します。しかしこの現象は私の小心さ、緊張の結果であることを自覚し納得しています。だから今は不安や動悸といった一時的な症状はさほど気にも留めない。不安は小心者の私にとって至極当たり前のことで、これを感じなくなるときは、私の精神か神経が老化してその機能が著しく低下してきたときであろう。」

 この方は、私から述べると達人レベルです(笑)。
不安を感じなくなったときは、自らの精神か神経が老化したとき、、と云ってのけるまで心の態度が完成されている。すなわち、不安があることが自分自身と「自覚」し、不安心とまったく戦っていない様子がうかがえます。確かに不安は顔を出す。だけども不安を相手にしないから、不安も場が悪く顔を沈めざる得ない、、と云った心の状態ですね。

 あるがままに生きる、と云うことは上述の方のように、自分の弱点を克服するものではありません。
つまり、今の自分の心を改造し、屈強にするものではありません。小心者で、消極的、恥ずかしがり屋で、神経質な自分を認め、包容することにあります。ビクビクはらはら大いに結構。ごちゃごちゃ考えるも大いに結構。不安があるのが自分であって、ビビりな自分が本当の自分。これをまるで滝に打たれて心を屈強にするような、「はからい」をすると、心が矛盾をお越し、不安症状のスパイラルに巻き込まれていく。

 「針一本落ちていることを察するくらいの用心さがないといけない」、これは森田先生が神経質を称える言葉として有名ではありますが、この用心深いくらいの鋭敏さをぜひ、日本の技術や作法、生活に生かしていってほしいものです。不安があって健康管理も可能になる、不安があって守れる家族もいる、不安があるからこそ人に優しくもなれるものです。

 また、お薬を服用することに悲観的になる人も多い。
個人的に申せば、服用することで日常生活が少しでも円滑になるのなら、それはそれで良いと思います。

 昔、このような出来事がありました。
先輩数名で、茶人であり内科医師のお宅にお邪魔したときの事。和室に通され、お茶と和菓子が出てまいりました。先輩の中には、糖尿病で血糖値が高めな人がいました。実は、招いた医師も血糖値が高めで、お互いに甘いものは食べないようにしていたのですが、医師がほほえみながら、その方に「たまにはお互いいいじゃないですか」、と満面の笑み。友達も、「それもそうですね」と、和やかな空気が流れていたのを思い出します。

 「木を見て森を見ず」と云う言葉があるように、
過度に健康にとらわれてしまえば、人生そのものを見失うこともありますからね。


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by mental-online99 | 2015-03-18 20:50 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

10転び11起き


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 不安症状や、鬱々した落ち込み、そしてパニック、、神経症や鬱の症状は何度となくやってきます。軽い症状から暴風のような症状まで様々。みな、そのことは経験上知っています。神経症やパニック障害、神経症性の鬱を持ち合わせた人たちは、すでに7転び8起きどころか、それ以上の経験をされています。また、症状の苦悩を他人に理解させるのは、きわめて困難であり、ある意味孤独との戦いでもあります。

 Webにも記していますが、みなさんのような症状を、その周辺や町を歩いている人にすり替わり経験させると恐らく立っていることさえもできないでしょう。その点、皆さんは、転んでは起き、また何十段の階段を転げ落ちるような思いをされてもなお、また這い上がって勤勉にもこのBlogを読まれている。これは、本当に「勇者」と例えるほかない。それほどに神経質の人たちは粘り強く、勤勉で、転んでもただでは起きない位の「強さ」の持ち主である。

 「私は精神が弱い・・」と嘆く人が月に数名来られますが、嘆く人には、「これほどに強いじゃないですか、勇者ですよ!」と話になることもあります(笑) どれだけパニックになっても、落ち込んで今度こそ助からないな、と凹んでも、不安がキツくなっても皆さんには、何度も起き上がってきた、這い上がってきた、と云う経験が「事実」としてあります。これって、けっこう大事なんですよね。実績と云うのでしょうか。


 キツイ不安症状、鬱、パニック・・この経験から体得されてくる、勝ちグセ。
次にまた暴風雨のような症状がきても、ぜひその時は、「また来たのか・・やれやれ困ったもんだ・・」と、上から目線で見てやってください。どんなにキツイ症状がきても、だいじょうぶですから。なぜなら既に、10転び11起き、いやそれ以上されておられるのですから。。

 人は誰でも心の底に、しーんとした湖をもっている、と云う言葉があるように、誰もが孤独に、そして静かに、言葉にならない思いを閉じ込めています。不安や鬱、パニック症状と戦った人は本当の孤独を知っています。さらにその孤独の中で自分と戦った人は、いつの日か自分の言葉で、自分の思いを語り、こころの病をはじめ同じ境遇の人や家族を笑顔にすることもできます。
 
 このような言葉があります。
数年前に飛び込もうとした駅のホームで今日、デートの待ち合わせをしている。
つまり、明日、どのような幸せがあるのかは、明日を迎えた人だけのご褒美なのです。


 
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↑ 野生の水仙です。小さいのに咲きっぷりが力強かったですよ。最近まめ(?)にBlogの更新をしているからでしょうか、心温まるメールを戴きます。時間の許す限り更新していきたいと思います。皆さん、ありがとうございます。

 さて、私がいつも云う神経症の「とらわれ」。
今一度 噛み砕いて述べると、「不安心を自らの意志の力で除外し、不安の無い心の状態を築こうとしたところ、不可能を可能にしようとした結果として、心の葛藤を起こし、心の流動が停滞してしまった状態」。皆さんが不安やパニックをはじめて経験したときは、「死ぬのではないか」、「精神が壊れて取り返しのつかない精神病になってしまうのではないか」と感じたことでしょう。

 しかし、この不安症状と云われるものは、神経質なら誰もが経験する心身の違和感を、前述のように過度に病的異常として認識し、その感情を不利なものとし、心から追い出そうと心を操作した結果として出来上がった「とらわれ」。この先、この不安を厄介者として捉えるか、実は役に立っている、コレが自分なんだと認識するのとでは景色も大きく異なってきます。

 昭和初期、これも森田先生のところで対人恐怖(社会不安障害)の青年が三週間の入院のあとに残した日記があります。青年は次のように森田先生へ残しています。※昔の表現ですからご容赦ください。

 「房州へ来てからどれだけ頭が良くなったか、私には解りません。一カ月半程の田園生活で得たのは、ただ、此の日記一冊に過ぎません。この数日で帰京しますが、私は何物をも得なかったようです。神経質が全快したとは思われませんが、別に悲しくも心配でもありません」
 これに対し森田先生は次のように評している。
「これが全快です。何物をも得なかったのが大なる賜であります。もし君が予期した通り、人前で顔が赤くならないようになったならば、それは無恥堕落の人となり終りましょう。もし君が或芸術心を満足したならばそれは玩具の人形のようになったでもありましょう。何物をも得なかったために、君は大なる力を得ました。」(以下省略)

 つまり、緊張して不安になるのが「あなた」。緊張や不安は本来無くしてはならないもの。それを何も得るものが無かった、と云うのは取越し苦労はあるけれど自分は自分のままで良かった、、とこの青年は心が抜けていっている様子がうかがえます。この森田先生が、「何物をも得なかったために、君は大なる力を得た」と云うのは非常に奥深いところに触れています。神経症の人たちは、その強い生存欲、完全欲から常に自己防衛をもっておられる。即ち、常時不安な状態であると云うこと。これは私から云うと、無くしてはならない。これだけの向上心があるのですから。また、向上心の底(裏側)には劣等感がありますね。これがバネであり、これも無くしてはならない。
 
 「何物をも得なかったために、君は大なる力を得た」
これは、そのビクビクはらはらする心は向上心の賜物であって、変える必要は無いと森田先生が教えて下さったことは、神経症を抱えるひとたちに、ひとつの考え方、希望の光を与えてくれているように思うのです。

 最後に、昭和初期、これも森田先生がある患者から質問を受けたときに次のようにおっしゃっていました。「また再発するのではないでしょうか・・」と患者が質問する。森田先生は、「治ったのではないから再発するはずがない」、と答えています。治すべきものがなかった、むしろ自己本来の姿に自覚しただけである、、と森田先生は諭しているのですね。

 

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by mental-online99 | 2015-03-11 20:24 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

メンタルヘルスONLINE スタッフの徒然日記。神経症 不安障害・鬱(抑うつ)などを語ります。


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