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  蝋梅(ロウバイ)の花です。花の香りが甘く、一足早い春の訪れを感じさせます。

  さて、今日はアルコール依存症、薬物依存症(危険ドラッグなど)の支える側、家族についてお話をしたいと思います。


  強制入院に伴う、病院受け入れ要請から病院搬送。
特にアルコール依存症や危険ドラッグの対応依頼がことのほか多い。私どもの経験をもとにアルコール依存症や薬物依存症(危険ドラッグ、脱法ハーブを含む)を述べさせていただくと次のようになる。

 1.一程度以上進行した依存症は自らで治せない、と知り分けること。
 2.「病気」であると認識すること。家族会議や気の持ちようでの解決は困難である。
 3.本人だけの問題ではなく、むしろ周囲の家族のほうがこころ病んでいく場合もある。
 4.専門医師に従う。(国内でも限定されるため入院先は遠方になるケースが多い)

 
  アルコール依存症、薬物依存症。年間多くの患者と云われる本人の病院搬送をしていますが、家族の決断に行き着くまでに、「今度こそ(薬物やアルコール)辞めると言っているので、もう一度本人を信じて様子をみてみる。」と長引かせてしまうケースが多い。しかし、これは家族としてやむを得ないと思う。

  これは、本人が一瞬穏やかに、「治ったのかではないか、このままなんとかなるのではないか、」と、なんとも落ち着いた姿になる局面がある。その姿を見てしまうと、さすがに家族の心はぶれてしまう。だが、これはいとも簡単に期待を裏切られるのが一般的である。

   一度、依存症と呼ばれる領域にまで至った人たちの進行を食い止めるのは困難であることを私たちは知っている。第一に、多くの依存症は進行性であると云うことを知り分ける必要がある。確かに、軽度の場合は、家族会議やしっかりしろなど掛け声でなんとかなる場合もあるが、一程度以上、日常生活に支障をきたすまでになった「依存症」であればそれも困難と云う場合が大部分である。

 
  角度を変えてみれば依存症本人を救うことも重要だが、
支えている配偶者や家族、もっと云えば子供たちの精神状態をこれ以上悪化させないことを最優先に考えなくてはならない。ここが私たちメンタルヘルスONLINEが最も重要視するところである。
  毎日のように搬送現場を見てきて思うのは、その依存症本人を支えてきたご家族の心理状態、生活環境の悪化が顕著にみられる。そこには、長年月にわたる本人と悪戦苦闘してきた親御様や配偶者の憔悴しきった姿があります。

  一方で、いろんな人達から、本人の身体が持たなくなるまで家族は待つ、経済的に買えなくなるまで待とう、などと云った助言をなされてくるご家族も多い。しかし、私たちの経験則から申せば、ここに行き着くまでに支えている家族、子供たちの精神状態は高い確率で支障をきたす。事実、私たちのもとにたどり着き、ご家族と面談をされるころには、むしろこの直前段階の家族も少なくない。

  たしかに本人の入院加療も大切なのでありますが、いち早く残された家族を守ることも大切。
本人に対しやるだけのことをやったと思うことができるのであれば、本人が医療にかかる、かからないに関わらずあなた自身が本来の生活を取り戻していくことも重要であります。
  本人が家に居る居ない、飲んでる飲んでない、機嫌が悪い悪くない、などに振り舞わされることのない生活をどうすれば取り戻せるのか、いわゆる支える側のメンタルの確保こそ最優先に考えなくてはならない。

  支えていく家族が倒れ、こころが病んでしまえば、それこそ本末転倒。
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、強制入院の病院搬送を最前線で従事してきた経験からマニュアル的な助言ではない、現場の声としてこれらを申し上げておきたいと思います。

  依存症ご本人に悩まされているのも、あなた。家族を守っているのもあなた。アルコールや薬物を購入する経済的支援をしているのもあなた、問題を起こした本人を守っているのもあなたなのです。

  人生、毅然とした態度決断が必要な一瞬もあるのです。

 

アルコール依存症・薬物依存症、人格障害・統合失調症の精神疾患の病院施設搬送は、メンタルヘルスONLINE

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by mental-online99 | 2015-01-28 20:17 | アルコール依存症 | Comments(0)
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 夕暮れの富士山。2015.1.7 撮影

 


 さて、今日は精神療法、今で云う神経症(不安神経症や対人恐怖症、強迫観念を含む) パニック障害等のカウンセリングも含めて現代の問題点を述べてみたい。本ブログは、医療関係者も多くご覧戴いているようなので、是非、当時を思い起こしながら御目通し願いたいと存じます。


 はじめに、私の恩師、鈴木知準医学博士が昭和50年代頃に記述した、精神療法の問題点をご紹介したい。

 

 『森田療法を生涯の仕事として、昭和二十六年五月静岡の地にはじめてから、二十二ヶ年を経過した。この間、一カ月以上の入院生は二、三〇〇名を越えている。はじめは、あやぶみながら森田のやり方を手本として手をつけたという程度が本当である。その間いろいろ、錯誤訂正をくりかえしながら今日にいたっているが、そのうち最も心に残り、今も尚問題としている四、五の点についてふれてみたい。』

  

 保険診療と自由診療

 

 『昭和二十二年、私が戦争から故郷の地静岡県にかえり、診療所を開いたのは昭和二十二年四月であった。そしてたしか昭和二十四、五年頃から保険医になった。二十六年森田派の精神療法をはじめた頃は、保険医であったが、保険診療は全診療者の五分の一位であった。二十八年七月、私は保険医をやめている。

 それは森田療法にうちこむようになってからであった。その頃、二十八年、森田療法の患者のうち四分の三が自由診療で四分の一が保険診療であった。


 その心的態度の差はそれ程にも思われなかったが、それは厳格に人選して入院させたということが大きな原因と思う。保険のもので途中で治療をやめたものはなかったが、ねばって作業の中に入り切る態度はすくなかったように思われる。保険診療で、自分は治療してもらう権利があるというような立場に立たれると、森田の精神療法は十分に行うことが出来ない。勿論森田のみでなく、精神分析療法でも同じであろうと思う。特に不問療法のような、症状を放置して目前の作業に入り切る点など不可能ではないだろうが、やりにくくなってくるのではないかと思う。森田療法の理論を十分理解しても、不問療法などの、どうにもならないどん底の心的態度を経験さす微妙な点が極めてやりにくくなるおそれが十分ある。


 また、私の所の入院で、経済上の問題もからめて、入院二、三カ月頃から、今まで二十数人、ほとんど入院費なしにしたことがあるが、そうすると大部分がのんびりして、作業の中に入り切る意欲が極めて減ずる。このことは注目に価する事実である。いつまでもいてよいような態度になるものが多い。土居健郎教授の理論の「あまえ」の点を考えると、この「あまえ」をどうしてうち切るかが問題になるようにも思われる。』


 

 以上、一部ではありますが、森田療法実施上の問題点として恩師が指摘しておられた。

このご指摘は森田派の精神療法のみならず、多くの精神科医療に関わる治療者がぶち当たっている壁ではなかろうか。

 恩師が鋭く指摘する、「保険診療で、自分は治療してもらう権利がある」とした立場では困難を要する。しかし、冷静に俯瞰してみると平成の現代では、精神療法だけではなく、あらゆる分野でも云えることであろう。


 ちなみに、鈴木知準医学博士は、自身が患者であった昭和初期当時を振り返っておられる。


 『昭和2年3月13日、大雪の日曜日、雪をおかして森田先生の診察をうけた。私はN大学にて精神科教授に面接をうけていたが、常に三、四分の面接であった。ところがここではおそらく四十分位、追いつめてくるような面接であった。私が遺精恐怖のことを言おうかどうしようと迷い、先生から追いつめられて返事が出来なくなってしまった。』


 『森田先生は当然のことながら、その診断は今の言葉でいえば登校拒否の意薄弱性精神病質である。厳格な森田の入院治療は無理とのことで、入院をことわられた。実際そのときは、旧制高校や大学の学生が七、八人入院していて、部屋もなかったらしい。父はどうしてもと頼み、私も是非にと頼んだ。特に奥様と予診をとって頂いた野村章恒先生にたのんだ。森田先生は全然気のりがしなかったというが、特に野村先生は、若いからなんとかなるかもしれないと森田先生に助言したという。』


 まさに、ここで返されては頼るところがない、この極めて難しい自分の症状を解決できるのは、ここでしかない、と云った局面であったように想像できる。その後鈴木知準博士は精神科医師となり、厳格な森田療法を生涯貫かれた。実際、多くの患者と云われる人たちが先生の面接を受けるも、森田療法は向かないと返される人も多かった。


 博士の云う、「あまえ」をどう打ち切るかもそうだが、神経症は親と子の共依存も多い。

したがって、「あまえ」もそうだがあらゆる脆弱性を持つに至った人たちも少なくない。しかし、一方で、インターネットやメールの普及により、精神療法と云う表現こそ大げさになり、手軽にネットカウンセリング、、と云った内容が定番になりつつある。いわゆるネットで便利、楽にと云った世間の求めるところと、精神療法の実際との温度差が大きくかい離している。


 また、最後に恩師は以下のように述べている。


 『とくに無知で来た人たちに対しては本人と数回面接し、その治療に対してあやぶみ、その性格等を考えて厳選した少数人数入院せしめた。来たものをそのまま入院せしめたら極めて多数の人たちであり、また中途退院者も多く、治療のなりたたないものが多数であったことが想像される』



 いわゆる神経症類は、実地に即さない机上論や、抽象論では歯が立たない。大切なのは、理論はもちろん事実に即した具体的な行動であります。保険診療云々はともかく、コンビニ感覚の状態ではこころの展開は難しいのが実際であろう。


  何かを極めようとした場合、簡単に手に入ったものほど脆いのは、何もこの分野だけではない。




不安障害(不安神経症), パニック障害・各種神経症の症状と心構え, メンタルヘルスONLINE
http://www.mental-online.co.jp/care.html


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by mental-online99 | 2015-01-08 17:05 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 散歩の途中で出会ったネコ。

地元の人からすると凄く警戒心が強いネコらしいのですが、このあと、私の足元をスリスリと体を寄せてきました。年頭早々なにか感じるものがあったのでしょうか。



 さて、今日も神経症、パニック障害のお話。

私の恩師、鈴木知準博士は、不安症状に悩む人たちに、「不安は不安でそれっきり」、「不安があっても問題とならなくなる」、と説いておられた。

 鈴木知準先生は特に禅に通じており生前、禅問答のように表現も少々ひねったアプローチ(打ち込み的助言)をされていました。今も私の耳奥には、道元を語る先生の御声が昨日のことのように残っております。


 ある男性が心臓神経症(不安神経症)、卒倒恐怖で慈恵医大精神科初代教授、森田先生の指導を受けておられた以下の話は有名である。

 この男性が電車に乗ると不安発作(パニック発作)が起こり、恐怖のあまり途中下車をしてしまった。途中の指導は割愛しますが、森田先生はこの患者に、「不安になった時があなたの平常心である。そうなれば、不安であるとかどうか問わなくなる」、と諭し、鈴木知準博士の云う「不安は不安でそれっきり」と結んだようである。


 云わずと知れたことですが、神経症は常時不安と戦い、その不安感や違和感を追い出そうと心を操作している状態。このため、不安症状に「とらわれ」、不可能を可能にしようとすることから、葛藤が生じ心が停滞を起こしている状態でもある。


 治そうとすれば、治らず。

 治すことを辞めれば、治る。と云った、少々これも禅問答に近い言葉になる。


 「良馬は騎手のムチの影を見てから走るというがそれでは遅い。いわれない先に自分から進んでやる。」と云った、神経症者ならそれが出来るとした称賛する言葉にもあるように、元来神経症者の皆さんは、神経質がゆえに鋭く空気も読め、仕事も出来るし、出世型が多い。


 しかし、一方で弱点もある。

多くの症状を持つに至った人たちを見ていると、親と子の共依存からくる幼児性や、自己中心的、様々な脆弱性が散見されるケースが多いことに気付かされる。いわゆる、これらの脆弱な部分から神経症の症状を持つに至った傾向が強いため、人間的な再教育が必要である。したがって単に、症状のみ根治すると云うのは、経験則として少々的が外れてしまうように思う。


 例えば、昔毎日書いて提出する日誌指導があった、提出される日誌にはその日に感じた症状のことばかりが書かれている。日誌指導は、その日どのような行動をしたのかを中心に書くようになっているのだが、「症状のことを書かないと数行で終わってしまう」と嘆く。つまり、「今日も治らないか、、、明日はどうか、、今の症状は、、」と、毎日症状のことばかり気にしている。


 人の心は常に変化している。

雲ひとつない晴天のような気分は、健康人であっても稀である。また、今晴れたかと思うと数分後にはドシャ降りの雨のような気分も間々あります。神経質な症状を持つひとたちは、完璧主義なゆえ、常に晴天な気分を目指す。しかし、当然ではあるが、ついには成り得ない。ここで葛藤が生じる。


 心は皆、晴れたり曇ったり、時には暴風雨になったりを繰り返している。

心は絶えず変化しても、状況に応じて年齢相応な態度をとるのが大人であります。こころを操作せず、あるがままに、今自分に必要なことを丁寧に取り組んでいくことが大切。


 心身の変化にいつも注意が向いていた心が、どうでもこうでも良いと、外に向いた時、心は動く。

その多くは馬鹿馬鹿しくなり、自分の症状は一切「これで良い」と、自己を受け入れたとき、神経症は解決に向けこころも動き出す。この様に気分は全くアテにならないものとして、アテになる行動を目的本位にしていく事です。もちろん、症状持ち合わせたままにです。



 笑って青山(せいざん)を望めば山また笑い、

 泣いて碧水(へきすい)に臨めば水また泣く


(愉快な気持ちで山を仰げば、山も笑っているようだし、悲しい気分で湖水を眺めると、水も泣いているように見える)と云う意味です。




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by mental-online99 | 2015-01-04 20:27 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)
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 あけましておめでとうございます。

新春をお祝いし、皆様のご健康、ご多幸をお祈り申し上げます。


 さて、平成27年 最初のブログ。

年末大晦日に書いた、「生きがい、目標」についてもう少し述べておきたい。


 この冬も、多くの登山者が多いようです。


 さて、今更ながら、登山は頂上に登り切るだけが全てではありません。随分前から綿密なる準備をし、計画をするなど、あれこれと考えること全てが大きな魅力であります。山頂だけが目標なのであればロープウェイなどを使って極めれば良い。


 ガーデニング、花もそうであります。

花だけが好きなのであれば、花屋にでも行って「花」だけを買ってくればいい。花を咲かせるまでの苦労があっての醍醐味、魅力です。


 私たちの人生も同じこと。

今、我々が、こうありたいと強く思ったことが直ぐに叶うわけではありません。すぐに手に入れる「結果」が全てであれば、人生なんて薄っぺらく、ある意味失敗でありましょう。そのような結果はもろく、壊れやすい。


 私たちが重きを置くのは、その目標希望に至るまでの「過程」であります。

過程には、仕事はもちろん、趣味習い事、家庭内の事、恋愛など様々です。

山あり谷ありの「過程」にこそ、味わい深い「生きがい」があるのです。ここを大切にしてこそ、こころの根も深く張り、堅固なものになっていく。


 一方、当然のことながらその過程において何度か同じ失敗もするでありましょう。

その時は、どうして失敗したのか、きっちり分析をする。分析をすることによって、再度の失敗は避けれる可能性が一層高まる。失敗こそしたけれども、そこにはきっと得た物も大なり小なりあるはず。しかし、残念なのは、1回2回失敗したところで諦めてしまう人も多いことです。失敗した貴重な原因は、果敢な挑戦をしたその人にしか分からない。

「過程」の中にこそ生きがいがある。そしてそこを知的に解釈するのではなく、実際に歩いてこそ一回りも二回りも成長していく。これこそを大切にしたい。私たちの生きがいとは、冒頭の山の頂上を極めるだけではない、と云うことを人生に置き換え、今一度自分と向き合いたいものです。





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by mental-online99 | 2015-01-03 17:49 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

メンタルヘルスONLINE スタッフの徒然日記。不安障害・鬱、アルコール依存症などを語ります。


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