不安症状を客観視する - 不安障害・パニック障害

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「閑坐聴松風」(かんざしてしょうふうをきく) 倉内松堂老師 書

この言葉は一般的に、
こころ静かに座して耳をすませば、日頃は耳にしなかった自然の音や、眼にしなかったいろんなものが見えてくるのだ、という茶席でよく見る禅語。
角度を変えてみれば、次々と入ってくる情報をあえて取り入れないことも大切、と気付かせてくれる言葉でもあります。


さて、不安障害(パニックを含む)症状の解決で大切なひとつに、

不安症状の真っ只中のとき、主人公になるのではなく、いかに客観視できるのか、が挙げられると思います。これは、不安症状を発症して間もない人には何を言っているのかわからないかもしれません。


不安障害やパニック障害の人たちは、常に症状がアイドリング状態であり、それはもうギリギリのところで悪戦苦闘をされている。
心臓が躍るとか、呼吸困難感、倒れてしまうのではないか、精神が狂ってしまうのではないか、と心休まる暇もない人が多い。


又、皆それぞれが、自分なりの不安症状の「頂点」を体験をされています。
この不安症状の頂点をなんども体験していると、やがて自分に不安の経験則が身に付いてくる。

たとえば、不安が来る。
不安が襲ってくるのだけれども、

「不安(パニック)発作がやってきても、ぜいぜいあそこまでか。」という自分の経験則が力を発揮するようになる。

不安症状に襲われながら、不安の真っ最中であっても、「またこの不安か、この程度の不安は以前も経験した。」と客観視が可能になってくる。

ただ、このような心の態度は、悪戦苦闘をやり尽くし、どうにもならない所を通って客観視が展開されてくる。客観視が可能になると、自然と不安と戦わない、不安から逃げようとしなくなる。

不安から逃げようとしないところを通って、「不安があったことさえ意識にとどまらない」心の態度が期待されてくる。ここまでくると、不安が有った、無かったが問題とならなくなっていくのです。

不安症状にとらわれている人は、はじめは「不安は自分のあってはならないもの」と思っている。だから不安を消し去ろうとするところから始まる。
しかし、上述のような体験を通じて至り得た後は、不安を消し去ろうとする必要は無かった。不安そのものを持っているのが自分自身であることに気付くことになるのです。

この不安から逃げない段階までになると、むしろ不安は病気という型ではなく、自分にとって最も良いタイミングで不安が出てきており、役立つ不安に型も変化していることが多い。


ただ、この段階であっても、「なんとない漠然とした不安症状が有る」とうったえる人も少なくない。この多くは、不安症状の燃えかすのようなものが残っており、実際には不安は無い。
でもそこは、敏感で徹底的な性格。
かつての不安体験を思い出しては、不安を感じた錯覚に陥る副次的なものと考えます。


さて、昔の書物にも以下のような言葉がでてくる。(現代文で表記しています)

  「この雑念不安やおどろき、これがそのままの自分自身のあらわれである。それをみずからの意志で、やりくりするところに、生きる態度に誤りのあることをいっているのである。
雑念をとりのぞこうとし、おどろきのない人間になろうとする。このわれとわが心の流れに拮抗するところに、雑念として、おどろきとしての意識がのこる。現在をそのままに受け入れる態度のとき、それらは流れて意識にとどまらない。」


これらを消し去ろう、感じなくしようでは、不安は去らない。
不安や恐怖を感じやすいのが自分として、受け入れるこころがあってはじめて見えてくるものがある。

まさに今日の、閑坐聴松風(かんざしてしょうふうをきく)であります。



不安障害(不安神経症), パニック障害・各種神経症の症状と心構え, メンタルヘルスONLINE
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by mental-online99 | 2018-09-10 22:59 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

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