不安心の体験談 − 神経症

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 ↑ 人なつっこい 野良猫くん。

 さて、不安症状、A氏(仮名)の体験談を紹介したい。
以下は昭和30年代であるため、表現は当時のままでありますことをご容赦願いたい。

 この体験談は離人症状の不安から始まっています。
不安と感じた、違和感を感じた、ここで不安があってはならない、感じてはならないと、不安と戦う。戦うとますます違和感や不安が大きくなり鋭敏にもなる。
まさに、とらわれの標本ともいえる違和感(症状)を言葉にするとこうなることを学ばせてくれる体験談です。
------------------------------以下、A氏(仮名)体験談。


「確かに空は青く澄んでいる。
それの実在性は一度も疑ったことはない。
花の色彩は鮮明である。木々の葉は緑滴たる。
朝の空気は清澄である。凡ては実在している。
それらの実在を肯定しながら自己の感覚がそれらそのものの姿に於いてキャッチし得なくなった状態。

鮮明であり清澄でありながら自己の感情が無条件にそれに溶けこまない。
見る主体と見られる客体との間にはいつも頭重感,頭痛感,意識の朦朧(もうろう)感が立ちこめて、確かにそれは実在しているのだと感じながら、どうすることも出来ない感情。

かつては一度も主客の関係において自己を疑ったことはなく、凡てはそのままの姿において自己肯定が行われていた。
熱発した場合など客体の変化するのを感じたが、それはそれとして素直にその変化も肯定した。
そして解熱と同時にそれはもとに復した。

しかしある時それが決してもとの姿に帰えらなくなったのだ。
恐しい耳鳴りに襲われ、父母弟妹の語らいながらとる夕食の膳に向っても、小さき自己は全く彼等とは無関係の世界に沈み、しきりに電灯の光の変質に首を横にふりつづけなければならなかった。

夜毎布団の中で耳鳴りと戦い肉体をつねっては感覚の麻痺した状態を検分しなければならなかった。
人々の笑い声も決して現実のものではなかった。
虚空に欲するむなしい響きとして自己にはね返ってくるばかりだった。
ただ沈黙し苦悶し、悲しい諦めと恐怖におびえた冷たい心を抱いて健かな明るい世界の人々の生活のひびきにじっと耳傾けて涙する以外になすすべを知らなかった」
(神経質・1960年12月より抜粋)
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  今で云う、離人症状を伴った強迫観念の体験談であります。
風邪の症状時には、気が風邪に向いているので不安症状はやや薄れている。
しかし、風邪が治ると再び不安症状に気が向かって元に戻っている様子がうかがえます。
自分が自分でない感じの「自分」に恐怖し、その現実感の無い恐怖がさらに不安を呼ぶ、不安が強度になってくるから身体症状も顔を出すと云った悪循環に陥っている様子も合わせてうかがえます。

 又、ここでは記載されてないですが、入浴時の状態にもふれていました。
単に入浴している時は良いのですが、体に石鹸や、シャンプーを髪の毛につけると不安が強くなったようです。

 症状の無い一般人でも睡眠不足などの時には、めまい感やもうろう感、頭が冴えない状態が往々にしてあります。
しかし、ひとたびそれに囚われてしまうと、そこに注意が集中する余り、まるで自分が自分でない感じ、或は、きれいな空を見てもパっとしない、心に響かない自分に焦り、焦るから不安が亢進し、ついには不安常住につながってしまう。

 しかし数か月後になり、A氏は次のように述べています。

   「・・・眼がさめ、ふっと自分をふりかえった時、実に平凡な自然の姿の自分が水が流れるごとく動いているのに気づいた。昨日まであれほど、深刻に主体だの思想だのと限りなく厳しい言葉で自己を叱咤していた自分が嘘のように感じられる。この2か月間暗中模索をつづけながら求めてきた自分の姿が実になんのへんてつもない、平凡な姿であったのだ。自然なあり方、平凡な姿、これこそ真の人生である。」

 ここでは次第に不安の正体に気付き始めておられます。合わせて、これまで不安症状と呼んでいたものが、天気のようにころころ変わることも実体験として理解し始めています。


 そしてさらに3か月後、A氏は言います。

    「わずか200mのところにタバコを買いに行き、雨に濡れた若葉の林の中で、町まで用足しに行こうかどうしようかと不安な自己をみつめながら歩いている折、ふっと心がよみがえって来たのだ。

 これだ。この色調だったのだ。と心に叫びながら辺りを見回し、確かめはじめた。自己を包む客観世界の雰囲気は一寸も異なっていない。世界が変わったと嘆き悲しみ、もだえ、不安におののいていた現象とまったく同じものであることを知ったのだ。

 ・・・ここからはもう一直線にある新鮮で素晴らしい自己に行きつけるような気がしてならない。今あれこれと、この気持ちを疑うようなことはすまい。他愛がないことであろと、どうであろうと、味わいつつあるこの感情は尊い。心が躍る。開放は近いのだ。素晴らしい。ただ素晴らしいとしか表現できない。」

 A氏はこのように、最後には、この体験を「治ってきた」とは言っていない。むしろ、初めの不安時と同じ、と言う。ここが極めて大事なところです。
つまり、最初でも最後でもなく、治ったとか治らないでもない、理屈を超えて、不安はどうでもこうでもいい、「一切これで良い」、とも受け取れる実体験であります。


 A氏がここでさらなる決着を求めていれば再燃だったのかもしれません。
知的解釈ではなく、実体験を通じて、「これで良いのだ」と心に抜けたとき、不安があっても行動が出来る、不安があっても問題とならない、相手にもしない心の態度が現れるのです。

 まさに、不安のとらわれから解放された一瞬でありましょう。



※皆さんから多くのメールを戴いています。ありがとうございます。
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by mental-online99 | 2015-12-26 22:58 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

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