「とらわれ」を超える - 神経症

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 神経症やPD(パニック障がい)と云われる人たちの多くは、その完全主義の余り、「まあいいか・・」が無い。

 他人を見ては、「私にはあれが無いこれも無い、もっと人から認めてもらわなくては、」、と御自身を悲観しては鼓舞する。隣の芝生は青く見えるではないが、これらは育った環境も影響すると感じる。特に親兄妹、配偶者が自分より学歴や職業、対人関係が良かったりすると、一層この傾向が強くなることが散見される。

 
 さて、私たちの心は、常に浮き沈みしているのは周知の如くです。
さっきまで心もスッキリしてたのに、数分後には気分の沈みや不安が襲ってきた、と云うのは神経質でなくてもよくあること。
 
 しかし、神経症やPDの人たちはここで、この浮き沈み感が「あってはならぬ」、と自分の意志の力で都合のよい状態に変えようとやりくりする。一時的にこのやりくりが成功すると、次の機会あのとき出来たのに今度はなぜ出来ぬ?と焦り、不安と混乱が生じる。ここから益々「とらわれ」が堅固になっていく。

 本来あるべき、人間らしいこころの流動変化であるにも関わらず、自らの意志をもって心の状態を都合よく操作しようとするところに問題が生じる。しかし、ここでいくら言葉をもって助言しても体得できるものではありません。

 体得、これには健康人らしい生活態度が基本となる。
神経症やPDの場合、症状を治すことを目的にするのではなく、「今」に即した生活態度をまず身に付けることが最大の目的となる。その副次的な産物としてこころの解決がある。

 神経症やPDの場合、その苦痛な症状の余り、”本当の”病人のような生活になりやすい。仕事も辞め、自宅にいる時間が増え、自ずと「暇」と向き合う時間も増える。これはまるで気を紛らわすことのできない、不安とまともに向き合う美容室の空間に似ている。

 元来神経症やPDの人たちは、あれもやりたい、これもやりたい、人から認めらえたいと、鬱とは真逆の猛烈な欲望に燃えておられる、しかし、完璧主義の症状が邪魔をして行動に移せないことで心に葛藤が生じる。まさに葛藤=不安症状である。
 ここから始まって、心のやりくりを繰り返し、堅固なとらわれに至ったのが症状と云えば症状。

 
 不安になる、落ち込む、恐怖する自分。
その取越し苦労の不安症状は、良くも無く悪くもない。そう感じるそのものが自分自身である。それが、まぎれもなく自分自身と自覚できたところに、とらわれ停滞していた心が徐々に流れだしていくのであります。

 
 そのためには、一途に健康人らしくすることです。



不安障害(不安神経症), パニック障害・各種神経症の症状と心構え, メンタルヘルスONLINE
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by mental-online99 | 2015-06-15 20:00 | 不安障害・パニック障害 | Comments(0)

メンタルヘルスONLINE スタッフの徒然日記。神経症 不安障害・鬱(抑うつ)などを語ります。


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